ビュート (Butte)
ビュートは19世紀後半にシルバー・ボウ・クリーク・バレーの鉱山町として開けた. ロッキー山脈の分水嶺にあり、アメリカ大陸をまたぐ位置にある. 初期は銀と金を産出し、後に銅需要の高まりとともに、この地域に豊富にあった銅を採掘してきた. 鄙びた町は特に第1次大戦とともに、繁栄の時期を迎え、世界一豊かな丘と呼ばれたこともあった. 労働者がアイルランド、ウェールズ、イングランド、レバノン、カナダ、フィンランド、オーストリア、セルビア、イタリア、中国、シリア、クロアチア、モンテネグロ、メキシコおよび米国各地より集まった. 移民の伝統は挽肉パイ(パスティ、Cornish Pasty)として持ち込まれ、鉱山労働者に働きながら食べられる食品として人気があった. ビュートの人口は1917年の11万5千人をピークとし、当時はシアトルからミネアポリスの間で最大の町であった.
19世紀の終わりに、銅は電線、特に海底ケーブル敷設事業により莫大な需要を生じた. ウィリアム・A・クラーク、マーカス・ダリー、フリッツ・アウグスタウ・ハインツという3人の”銅山王”(Copper Kings)とロスチャイルド家がビュートの鉱物資源を争った. 1899年、ダリーはウィリアム・ロックフェラー、ヘンリー・ロジャース、トーマス・ローソンと共同し合同銅鉱山社を組織した. すぐに、この会社はアナコンダ銅鉱山会社(ACM)と名前を変えた. めざましい成長をとげ、1920年代にはビュートの鉱山をほぼ独占するようになった. 1917年、ビュートからの銅産出はピークを迎え、ゆっくりと減少していった. 繁栄は1950年代まで続いたが、鉱脈の品質低下と他鉱山との競争が、アナコンダを危険な地下採掘から露天掘りに切り替えさせた. 1967年、ACMへNY銀行シ団が総額8000万ドルを融資した. シ団の参加者はチェース・マンハッタンとケミカルとモルガン・ギャランティ・トラスト(いずれも現JPモルガン・チェース)、そしてロックフェラー家のシティ・バンク・オブ・ニューヨーク(現シティグループ)であり、拠出額は各行2000万ドルずつであった. 1977年、アナコンダはプルドーベイ油田を発見したARCO に吸収合併された.
1960年以降、市の人口は約3万人を境に上下している. 1ダース以上の巻き上げやぐらが坑道に立ち、市はブーム以来の千を超える歴史的商業ビルや住居が、特にアップタウン地区に残っている. それらの建物は古い面影を残し、ゴーストタウンの様相も見せているが多くのビルは再利用されている.
ビュートはまた”労働組合活動の要塞”としても知られ、大変活動的な労働者組合運動の潮流が、アナコンダに対抗する力として1885年以前から存在した.
地図 - ビュート (Butte)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
USD | アメリカ合衆国ドル (United States dollar) | $ | 2 |